113系 琵琶湖・京都・神戸線

●諸元
形式 モハ113・モハ112・
       クハ111・サハ111・
       (モハ115)・(モハ114)
編成 7両編成・6両編成・4両編成
営業最高速度 110km/h
設計最高速度 110km/h
起動加速度 1.1km/h/s
減速度 3.0km/h/s(常用最大)
          4.0km/h/s(非常)
最大寸法 長さ 20000mm
             幅 2956mm
             高さ 4077mm
車体材質 普通鋼
主電動機 直流直巻電動機MT54(120kW)
駆動装置 中空軸平行カルダン
制御装置 抵抗制御 直並列組み合わせ
     弱め界磁制御
台車 コイルばね台車
制動装置 発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキ
保安装置 ATS-Sw・ATS-P
●配置区所
網干総合車両所
宮原総合運転所
●運用範囲 
1網干所属車
東海道本線(大垣ー神戸)
山陽本線(神戸ー三原)
2宮原所属車
東海道本線(米原ー神戸)
山陽本線(神戸ー網干)

1964年、東海道・山陽本線を走る80系を置き換える目的で製造された。
東海道本線には1964年当時、東京ー神戸の全区間において80系が使用されていた。しかし、80系は釣り掛け駆動の旧性能車であった為、置き換えに迫られていた。又、2扉車であった為、都心部の京阪神や首都圏においては使い勝手も悪かった。そこで、これらの車両を3扉・セミクロスシートの新性能車で置き換えることとした。
車体は111系と同じく20m・3扉となり、基本的な設計は111系と同じである。前面はパノラマウインドウを採用し、中央に貫通扉を配置したいわゆる東海型となり、窓下に大型の白熱灯とその下に尾灯を配置している。側面も111系と同じ配置となっており、両開き扉を3箇所配置、側窓は非ユニット窓を配置している。車内はセミクロスシートとしており、ラッシュ時にも対応している。クハ111とサハ111には便所も設置している。床下機器は111系とは異なり、主電動機をMT54にすることでモーター出力をアップしている。台車はコイルばね台車を採用している。
1964年から導入が開始された。当初は宮原区に51両が配置され、先頭車を間に組み込んだ7両編成(TcMM'Tc'MM'Tc')で運用を開始した。
1966年からは高槻区・明石区にも配置されたが、この時高槻区と宮原区にはグリーン車のサロ110が組み込まれ、8両編成となった。明石区の編成に関してはグリーン車無しの7両編成となった。又、各電車区に4両編成の付属編成を配置し、最大12両で運転された。
1968年、快速が20分間隔から15分間隔になり、神戸発着の列車が無くなり、姫路発着と西明石発着が交互に運転されるようになった。京阪神地区の快速の置き換えもこの時に完了した。尚、80系に関しては岡山・広島方面から大阪に乗り入れてくる列車が1972年まで残った。
1970年、明石電車区網干派出所が独立し、網干電車区を開設。明石電車区の113系が全車網干電車区に転属した。
1970年10月、大阪万博終了後「快速」の更なる速達化として「新快速」が初めて設定され、この新快速に113系が充当されたが、この113系は万博開催時に横須賀線から転入してきたものであり、スカ色を纏っていた。1972年3月には153系に置き換えられた。
1972年には運用区間が草津まで延長された。
1974年には湖西線が開業し、一部列車が湖西線に直通した。
1980年、グリーン車が廃止された為、サロ110が編成から外され、基本編成が7両となったが、翌年の1981年に高槻区の編成にサハ111が組み込まれ、8両編成となった。
1981年まで113系は製造された。この時点では網干区・宮原区・高槻区に配置があった。網干区には7両編成と4両編成が配置されており、非冷房の初期型が大半を占めていた。又、編成ではなく車両やユニットごとに管理されていた為、毎回組成は変わっていた。宮原区には全車冷房車の7両編成が配置されていた。高槻区には8両編成と6両編成が配置されており、新しい2000番台や700・2700番台が配置されていた。
国鉄末期になると、網干区の7両編成から中間に組み込んでいたクハ111が転出し、6両編成となった。宮原区には、網干区から転属してきたクハ111を利用し、7両編成を4両編成+4両編成とした。高槻区は1986年に車両配置を無くし、700・2700番台は宮原区へ、0・2000番台は網干区に転出した。この転出により、網干区にサハ111を組み込んだ7両編成が組まれ、クハ111を組み込んだ7両編成も復活した。
1987年の民営化後も引き続き東海道・山陽本線の快速で運用された。
1988年からは冷房改造にWAU102形を使用した分散冷房が採用された。これは、一部のクハ111を対象に行われた。
1989年、221系が登場し、113系の置き換えが開始された。置き換えられた113系は多くが向日町区に転出し、初期型非冷房車は廃車された。1990年には山陰本線電化の為クハ111を中間組み込んだ7両編成が転出し、クハ111を中間に組み込んだ編成が消滅した。
1991年、最高速度を110km/hに引き上げる改造が行われた。これは、同じ路線を走る221系の最高速度が120km/hであり、運転の妨げにならないようにする為である。主電動機はそのまま継続使用とし、高速域から減速力を強化する為に増圧機及び応荷重装置の取り付け、制輪子の交換などが行われた。これに伴い、番号が改番され、高速化を行った車両は原番号+5000、それに加えててこ比改造を施した車両は原番号+5000+1000とした。
1992年、東海道・山陽本線の快速の3扉化の為、岡山区から115系が転入してきた。宮原区においては、網干区から0・2000番台が転入し、東海道・山陽本線での運用が増加した。
1995年、阪神淡路大震災が発生。この影響により、奈良区や岡山区・広島区から113系や115系を借り入れて使用された。
1997年、東海道・山陽本線の日中の快速が221系に統一され、113系は朝・夕ラッシュ時のみとなった。
1998年からは113系に対して体質改善工事の施工が開始した。主な改造内容は外板と雨樋の一体化、側窓の交換、ガラス押さえ方式を金属などにしHゴム不使用化、塗装変更、車内を223系に合わせて転換クロスシート化、ガラスカバー取り付け、化粧板張り替えなどである。この工事は後期型である2000(7000)番台や2700(7700)番台が対象であったが、網干区は大半が0(5000)番台の初期型であり、一部に0'(5000')番台の中期型が在籍している程度であった。その為、網干区では本来改造対象外の0'(5000')番台やサハ111も改造した。その為、網干区所属の編成には混色が大半を占めるようになった。
舞鶴線電化の際、115系のクモハ115が福知山区に転属した為、モハ115とモハ114が113系の編成に組み込まれることになり、混結が誕生した。この時に網干区の組成は7両編成のK編成と4両編成のF編成にまとめられた。
2001年、奈良線でみやこ路快速の運転開始に伴い、221系が奈良区に転属することになった為、余剰気味であった113系に置き換えた。
2003年3月、小浜線電化の関係で7000番台が網干区と京都区から福知山区に転出した。
この頃から、クハの前面ガラス押さえに金属枠を使用した車両が現れた。これは、運転台に雨水が浸入するのを防ぐ為であり、大半の車両が金属枠が取り付けられた。
2003年12月、223系の増備が再開された。これは、神戸線の朝の外側線快速の130km/h化によるもので、この影響により113系の運用が激減した。これにより、後期型は京都区や日根野区に転出し、初期型は廃車された。その為、2003年時点ではK編成10本、F編成12本在籍していたのに対し、2004年時点ではK編成6本、F編成5本にまで数を減らしていた。
2004年10月、京都線の朝の大阪方面の快速も223系に統一され、更に221系・223系の運用の都合上JP東海管内の大垣まで乗り入れる運用の一部が置き換わることになった為、113系の運用が更に減った。この時、新系列による大垣乗り入れが可能になったことから、223系の増備による113系の完全撤退も計画されていたが、京都線の新快速を増発する事になり223系が大量に必要になったこと、221系に関しても福知山線の113系置き換えに必要であったことから網干区から転属することになったことから網干区の113系が東海道・山陽本線に残留することになり、更に221系の転属の関係で日中運用にも復活した。尚、宮原区の113系はこの改正で運用が消滅した。
2005年からは網干区の113系に対してATS-P及びEB・TE装置取り付けが開始した。これは、元々網干区の113系には初期型が多く廃車予定だったものも多かったが、新快速の増発や他線区の車両置き換えの影響により継続して使用することになった為である。この工事は2006年には完了している。
2007年、F編成のうち広島区や下関区に貸し出していた編成が全て返却された。これによりF編成が余剰気味になった為、新たに上郡以西三原までの運用を持つようになった。又、宮原区や日根野区、京都区の車両貸し出しによる車両やりくりにも目処が付いてきた為、元々網干区にいた車両を里帰りさせ、K編成1本、F編成4本が増加した。
2012年、宮原区の113系による東海道・山陽本線の快速運用が復活した。宮原区は2004年10月に113系の車両配置が無くなり京都区や日根野区に転出したものの、福知山線にATS-Pを整備する関係で同線の117系を置き換えることになり、日根野区・京都区・広島区から113系が転入し配置が復活した。これらは後に他区所の体質改善車とトレードされた。しかし、2012年に網干区から転入した225系に置き換えられることになった為、福知山線での運用が消滅したが、網干区において225系6両編成転出分に対して補充が無かった為、その分を宮原区の113系が補うことになった。結果、実質運用線区をトレードということになった。尚、225系4両編成3本・223系4両編成2本宮原転出分に関しては網干区の岡山方面運用の一部を岡山区・広島区の115系で置き換え、京阪神地区での運用に充てることで車両不足を補った。
2016年3月、東海管内の大垣まで乗り入れる運用が全て113系化された。これは、当時投入予定だった225系2次車の大垣直通運用を避ける為である。これにより、4両編成の大垣直通が復活した。
2017年現在、網干総合車両所にK編成の7両編成7本、F編成の4両編成10本が在籍しており、大半がグローブ型ベンチレーター・非ユニット窓の初期車である。特にモハユニットは元トップナンバーが在籍しており、クハに至っては111系として製造されたものが在籍している。又、クハの大半は前照灯が大型の白熱灯である。塗装は未更新車が湘南色で体質改善工事施工車が西日本更新色である。宮原区はS編成の6両編成5本が配置されており、全車体質改善工事施工車である。網干区の編成は7両編成単独・7両+4両の11両編成・4両編成を2本併結した8両編成で運用される。宮原区の編成は6両編成単独で使用される。主に東海道本線米原ー神戸、山陽本線神戸ー上郡で運用されており、網干区の編成は東海管内の大垣やアーバンエリア外である三原まで運転されている。