117系 琵琶湖・京都・神戸線

●諸元
形式 モハ117・モハ116・
       クハ117・クハ116
編成 6両編成
営業最高速度 115km/h
設計最高速度 115km/h
起動加速度 1.8km/h/s
減速度 3.5km/h/s(常用最大)
          5.0km/h/s(非常)
最大寸法 長さ 20000mm
             幅 2946mm
             高さ 4066mm
車体材質 普通鋼
主電動機 直流整流子電動機MT54D(120kW)
駆動装置 中空軸平行カルダン
制御装置 抵抗制御 直並列組み合わせ
     弱め界磁制御
台車 空気ばね台車
制動装置 発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキ
保安装置 ATS-Sw・ATS-P
●配置区所
京都総合運転所
●運用範囲 
東海道本線(米原〜神戸)
山陽本線(神戸〜相生)
北陸本線(長浜〜米原)
赤穂線(相生〜備前片上)
湖西線(山科〜永原)
草津線(草津〜柘植)

1979年、東海道・山陽本線の新快速として運用していた153系の置き換えとして製造された。
東海道・山陽本線の新快速は、1972年に113系から153系に置き換えたことで、冷房化は完了していた。しかし、これらの車両は1958年製造と古く、ボックスシートであった為、競合する私鉄の阪急6300系や京阪3000系が転換クロスシートを採用していたのと比較すると見劣りしていた。又、153系は本来急行用として設計されており、デッキのある客室構造はラッシュ時の輸送が困難であった。
そこで、これらの問題点を解消し、なおかつ競合する私鉄にも対抗できる接客設備を備え、京阪神地区の輸送事情に特化した車両が開発されることになった。こうして開発されたのが117系であり、極端なまでに標準化を進めていた当時の國鐵にとっては破格の車両となった。又、「シティライナー」の愛称が付与され、車体塗装はクリーム色に茶帯という昔の関西急電をイメージしたものとなった。この塗装は後に当時する221系や223系、225系にも塗装パターンを変えながら受け継がいる。
車体は完全新設計の20m・2扉で、キハ66をベースとしている。前面は非貫通型・前照灯が4灯であり、流線型である。側面は上段下降・下段上昇式の二段窓の二連窓が並ぶ配置となっており、キハ66や阪急2800系を彷彿とさせる。ガラスの支持方式は従来のHゴムは使用せず、押え金方式となっている。屋根は冷房装置がAU75B、その両端に新鮮外気導入装置が設置されている。その為、通風器は設置されていない。車内はオール転換クロスシートであり、客用扉は化粧板仕立てとなっている。又、妻面を木目調とし、蛍光灯カバーを付けることで高級感を出している。床下機器は115系をベースとしているが、台車は特急型並の空気バネ台車となった。主電動機はMT54Aである。
1979年から製造は始まり、1980年1月に営業運転を開始した。当初はまだ1本しかなかったことから、分割・併結を行わない新快速・快速で運用された。
当時の國鐵は並行私鉄と比べ劣勢ではあったものの、117系は好評であったことから、置き換えは急ピッチで行われた。1980年3月末までには6両編成8本が揃った。153系は19両が名古屋鉄道管理局へ、1両が長野鉄道管理局へ、3両が広島鉄道管理局へ転属し、残りの25両が廃車となった。
更に、同年4月から7月にかけて6両編成13本が製造され、予備編成を含めた新快速の必要本数である6両編成21本に達したことから、全ての新快速が117系で運行されるようになった。捻出された153系は、27両が名古屋鉄道管理局へ、12両が東京南鉄道管理局へ、残りの39両が廃車となった。
1985年から朝夕に各駅停車ながら彦根発着の列車が運行を開始し、草津発着が1時間あたり2本設定された。更に、京都〜大阪の最高速度が110km/hに引き上げられたことで新大阪が新たに新快速の停車駅となった。
1986年、新快速の増発に伴い、117系が6両編成3本が増備された。このグループは100番台とされ、一段下降窓になったりボルスタレス台車を採用したりしている。
國鐵分割民営化後、1988年には運用範囲を彦根から米原に拡大し、翌年1989年には6両編成を2本併結した12両編成で運行するようになった。更に、1990年には最高速度が115km/hに引き上げられた。
しかし、JP西日本による新快速の利便性向上により利用客が増加したことで、2扉が使いづらいものとなっていった。そこで、新快速を221系に置き換えることになった。
1990年には6両編成8本を福知山線で運行することにし、塗装をクリーム10号に緑14号の帯を巻いた福知山色となった。
1991年3月には早朝・深夜を除いて新快速の最高速度が120km/hになったことから117系による新快速運用が縮小した。これに伴い、6両編成10本を8両編成5本と4両編成5本に組み替え、6両編成と8両編成は東海道・山陽本線の快速で、4両編成は奈良線で運行することになった。同年9月には北陸本線長浜まで直流電化したことから117系の運用範囲が長浜まで拡大した。
1992年3月、岡山電車区から115系冷房車の転属により、4両編成6本が岡山電車区に転属し、岡山地区の115系非冷房車を置き換え、快速サンライナーとして運行を開始した。又、組み替えで余剰になった中間車は広島運転所に転属し、115系に改造した上で115系の編成に組み込み、同系の非冷房車を置き換えた。新快速用に残った車両も、片側2扉という車体構造がラッシュ時に対応できず、最高速度120km/hにも対応できないことから朝の長浜発大阪行き、深夜の大阪発野洲行きのみの運転となった。これにより、神戸線での運行は一旦終了した。
1995年1月17日、阪神淡路大震災が発生し、輸送力不足になった為、117系を再び新快速運用に使用することになった。これにより、神戸線での新快速運用が復活した。増発分のうち朝の姫路発大阪行き、夕方の姫路発大阪行き、夜の大阪発姫路行きに充当された。更に、朝の長浜発大阪行きを姫路行きに延長した。
1995年6月には新たに4両編成3本が福知山色となり、東海道・山陽本線と奈良線は6両編成に統一され、8本となった。
1995年9月のダイヤ改正では、夕方の増発新快速をこれまで大阪を18時〜20時のそれぞれ20分に運転していたのを、利用の多い18時台〜19時台にシフトした。これにより、大阪20時20分発で運転していた117系新快速は大阪19時8分発にシフトし、送り込みとして運転していた夕方の姫路発大阪行き臨時新快速を廃止した。
1996年、土休日の夕方大阪発備前片上行きに117系を充当開始した。これは、1997年の京都駅ビル開業まで続いた。
1997年、4両編成2本が福知山色となり、東海道・山陽本線と奈良線用は7本に減少した。
この時点の117系は221系や223系の登場により東海道・山陽本線の運用は再び置き換えが進められ、朝の長浜→姫路と深夜の大阪→野洲の新快速運用を残すのみとなっていた。
1999年5月、223系の増備により新快速の最高速度が130km/hに引き上げられた。これにより、117系の定期運用は消滅し、土休日の臨時運用で大阪発播州赤穂行き、播州赤穂発大阪行きの新快速「忠臣蔵レジャー号」が残るのみとなった。しかし、同年10月にはこの新快速運用が土休日に定期列車化され、大阪ー播州赤穂で定期運用が復活した。更に、12両編成となった上に2往復することとした。
2000年、土休日の早朝の新快速姫路発大阪行きと夕方の快速大阪発備前片上行きに117系を充当した。
2001年、奈良線にみやこ路快速の運転が開始したことから、奈良線から117系が撤退し、日根野電車区に転属した。
2004年、平日朝の姫路発大阪行き・夕方の新快速大阪発姫路行きで復活した。これは、宝塚線に221系を投入したことによる余剰が発生したためである。
2005年、福知山線のATS-P整備に伴い、117系の福知山線運用が終了した。これに伴い、300番台と0番台が共通運用となり、300番台も再び新快速の運用に入るようになった。これにより、新快速の朝長浜発姫路行き・夕方大阪発野洲行きに117系を充当し、更に琵琶湖線での普通運用にも充当となった。
2005年には4両編成5本を下関区に貸し出し、2007年には正式配置となった。
2006年、配置区所が宮原区から京都区に転属した。この時に8両編成も組成されたが、これらは湖西線・草津線が中心の運用となっている。
2009年4月、117系による湖西線で臨時新快速が運転された。これは、2011年まで運転された。
2018年現在、京都総合運転所に6両編成6本・8両編成2本が在籍しており、東海道本線米原〜神戸、山陽本線神戸〜相生、赤穂線相生〜備前片上、湖西線山科〜永原、草津線で使用されている。