205系 京都・神戸線

●諸元
形式 モハ205・モハ204・
       クハ205・クハ204・サハ205
編成 7両
本数 2編成
営業最高速度 100km/h
設計最高速度 100km/h
起動加速度 2.4km/h/s
減速度 3.5km/h/s(常用最大)
          5.0km/h/s(非常)
編成定員 992名
最大寸法 長さ 20000mm
             幅 2832mm
             高さ 4140mm
車体材質 軽量ステンレス
主電動機 直流直巻電動機MT61(120kW)
駆動装置 中空軸平行カルダン
制御装置 界磁添加励磁制御
台車 ボルスタレス台車
制動装置 回生制動併用電気指令式
保安装置 ATS-Sw・ATS-P
●配置区所
網干総合車両所明石品質管理センター
●運用範囲 
東海道本線(草津ー神戸)
山陽本線(神戸ー加古川)
福知山線(尼崎ー新三田)
湖西線(山科ー永原)

1986年、日中の東海道・山陽本線の普通電車増発用として7両編成4本が投入された。
1986年当時、新快速が内側線を走っていたことから余裕が無く、半数の普通が吹田ー甲子園口のみでの運転となっていた。その為、吹田以東・甲子園口以西は15分間隔でしか普通が無く、競合してる私鉄の方が本数が多く便利であった。そこで、國鐵最後のダイヤ改正の際に、新快速を外側線を走行させ、区間運転の普通を高槻ー神戸に延長することとした。しかし、日中のダイヤは既に201系性能で組まれており、103系では到底走ることが出来なかった。
そこで、日中増発分に新車を入れることとし、103系を置き換えることとなった。当時東海道・山陽本線の普通の最新鋭は201系だったが、201系は財政難である國鐵にとってはかなり製造コストが高かった為、1985年で製造が中止していた。そこで、性能はやや不向きではあるが、当時山手線に投入していた205系を東海道・山陽本線にも投入することになった。
車体は20m・4扉で、201系をベースとしているが、車体材質が軽量ステンレスとなり、無塗装車体となった。前面は201系と同じく、上半分を黒色としているが、前照灯が下部になり、方向幕が上部の中央となった。側面は戸袋窓が廃止され、側窓が一段下降窓となった。これまでは腐食防止の為、二段窓を採用していたが、ステンレスにしたことで腐食の心配が無くなり、一段下降窓を採用することになった。塗装は無塗装であるが、幕部と窓下に青24号の帯が貼られている。これまでの青22号からあ24号に変更したのは、ステンレス車体の帯は鋼製車体の塗装より暗く見えやすいことから明るめの色を採用した。車内は201系をベースとしたオールロングシートであるが、戸袋窓を廃止・一段下降窓を採用したことでより近代的になっている。化粧板は模様入りのものとなり、袖仕切の模様も変更されている。妻窓は廃止された。又、乗務員室背後の窓が大型化されている。これは、山手線ではATCを搭載する為そのスペースを要するが、東海道・山陽本線ではATCを必要としないので、その分のスペースが客室に利用され、窓の大型化にもつながっている。床下機器は当時次世代近郊型電車として開発してた技術を先取りしている。制御装置は界磁添加励磁制御を採用。201系ではサイリスタチョッパ制御を採用したが、チョッパ装置が高価であった為、抵抗制御を基本に回生ブレーキが使用でき、かつ直流直巻電動機が使用できる経済的な添加励磁を採用することとした。ブレーキは電気指令式を初めて採用した。台車もボルスタレス台車を使用し、コストカットに貢献している。性能は、201系とほぼ同等を目指して設計されたものの経済性を重視した為、高速域の加速は201系よりは落ち、ブレーキは甘くなっている。
1986年8月に製造され、同年11月のダイヤ改正から営業運転を開始した。
1987年4月に分割民営化され、國鐵からJP西日本に引き継がれ、引き続き東海道・山陽本線の普通電車で運用された。
民営化直後から、1編成に対して試験的にLED表示器を設置したが、短期間で幕式に戻されている。
1992年からは排障器が設置された。
1994年3月には207系が投入され、103系を完全に置き換えたが、この時103系の湖西線運用を201で置き換えることになった為、この時から201系と共通運用を組む205系の湖西線運用が誕生し、堅田まで乗り入れるようになった。
1996年、207系の運用が朝夕ラッシュ時主体となり、201系・205系の運用が増加した。これは、日中に関しては6両編成では輸送力が不足し、8両編成では過剰になったことから7両編成で運行されるようになった為である。
1997年、東西線開業に伴い、これまでの京都・高槻ー須磨・西明石の系統のうち、半数が尼崎に乗り入れるようになった。これに伴い、高槻発の列車が尼崎から福知山線に入線することになった為、205系も福知山線新三田まで入線するようになった。この時から日中は須磨→高槻→新三田→京都→須磨の経路で運転されるようになった。この時、207系は大半を東西線の運用に入れたことから、日中の東海道本線尼崎以東に入線する普通列車の大半が201系・205系となった。
1998年、須磨発着の列車が全て西明石に延長された。これは、明石海峡大橋開業と淡路線舞子延伸に伴うもので、これにより201系・205系による日中運用が27運用に増加した。
2000年、深夜時間帯の湖西線列車が混雑するようになってきた為、深夜時間帯のうち一往復を113系4両から201系・205系に置き換えることになった。これによって205系が永原まで入線するようになった。
2002年からは再び京都ー西明石・高槻ー新三田に再編されたが、205系の福知山線乗り入れは続いた。しかし、2003年、207系2000番台の増備により、205系は日中の福知山線直通列車からは撤退した。
2005年から321系の投入が始まり、201系・205系の置き換えが始まった。これは、福知山線の普通列車の性能を207系と同じ最高速度120km/hに引き上げる目的であり、これにより201系と205系の一部が転出した。205系は2本が日根野区に転出した。転出にあたっては8両編成と6両編成に組み替え、それぞれ同区の103系と共通運用で運行することにした。残りの7両編成2本は明石区に残留した。2007年3月には早朝・深夜を除いて福知山線から撤退した。
2011年、東西線北新地駅に可動式ホーム柵を設置したことにより、223系で運用されていた直通快速が207系で運用されることになった。そこで、直通快速運用分の207系を捻出する為に、阪和線で運行していた205系0番台を再び東海道本線に転属して捻出することにした。これにより、205系0番台が再び東海道・山陽本線の普通列車に集結したが、この阪和線から転属した2本は宮原区に配置された。この際、塗装もこれまでの青24号帯から321系に準じた戸袋部に紺色・腰部に橙・白・紺の帯に変更された。この塗装変更は明石区の205系と区別する目的で変更された。編成番号はC2編成とC4編成としたが、これは将来明石区の205系が転属した場合に備えてこの番号となった。この宮原区の205系は朝夕ラッシュ時の運用に就いた。
2012年からは205系に対して体質改善工事が始まった。宮原区に所属する205系ではC2編成とC4編成に施工された。更新内容は排障器強化・表示器LED化・通風器撤去・運転番号撤去・化粧板張り替え・手すりつり革などの黄色着色化・客用ドアのガラス複層化などである。
2013年、他線の運用の調整などにより宮原区の205系の運用が再度207系・321系に置き換えられ、宮原区の205系は同区の103系の運用を共通運用化することでその運用に入ることになった。これにより、205系のうちC4編成がサハ205を抜いた6両編成で日根野区に転出した。サハ205-72は宮原所属のまま保留車となっている。
2014年からはデジタル無線の設置が始まり、2017年までに全車完了した。
2018年現在、7両編成2本が網干総合車両所明石品質管理センターに、7両編成1本と保留車1両が宮原総合運転所に配置しており、東海道・山陽本線草津ー加古川、福知山線尼崎ー新三田、湖西線永原ー山科で運行している。